不調を抱えておられる中、偶然にも from FM のホームページを見つけてくださり、ありがとうございます。
「出会いに偶然はない」とよく言われます。私もそう思っています。この無数にある整体院の中から、このページにたどり着いたあなたと出会えたことに、深い感謝と小さくも確かな縁を感じます。
私の名前は、不室 真大(フムロ・マサトモ)と申します。神奈川県〜東京〜京都をまるで回遊するクジラのように移動しながら、整体師として活動しています。今日は、あなたに少しだけ私のことを知っていただけたらと、これまでの歩みを綴ります。少し長くなりますが、お付き合いいただけましたら嬉しいです。
『信頼を紡ぐ旅路』
① ゆっくり、たどり着いた場所
私が整体師としての道を歩み始めたのは、2019年9月。今では “天職” と感じられるこの仕事に出会うまでには想像以上に時間がかかりました。
大学卒業後は一般企業に就職しましたが、心のどこかで「人の役に立つ医療の現場で働きたい」という想いをずっと抱えていました。怪我や入院が多かった自身の経験が自然とその方向へ意識を導いていたのかもしれません。
退職後、リハビリテーションの専門学校に入学し、急性期病院に再就職。作業療法士として15年間、病院での現場に身を置きました。
その中で次第に強くなっていったのが「もっと患者さんに寄り添いたい」「もっと深く機能回復を支えたい」という想いです。しかし実際の現場では目の前の患者さんを見るよりも記録や制度上の制約に追われることが多く「本当に支えている」という実感が持てず、もどかしさが募っていきました。
そんなとき、東洋医学系の整体講習会に参加する機会がありました。そこで衝撃を受けたのが「人に触れる時間の多さ」でした。西洋医学系のリハビリテーション研修会は座学中心でしたが、整体の講習会では施術ベッドが並び、実際に人に触れて身体の感触を確かめながら進めていくのです。
その「触れる」という行為が、人の心と身体にどう働きかけ、変化をもたらすのか。私はそれを体感として知ることができました。やがてその技術を病院の中でも試してみると、整形疾患に限らず、他科の患者さんにも目に見える変化と効果が現れ始めたのです。
効果が出ると患者さんやそのご家族の満足度も上がっていきました。それが決定打でした。東洋医学の知見、そして「触れる」という徒手の奥深さに心を動かされた私は、病院を離れ、整体師として生きる道を選びました。
② 幼年期の記憶と、消された想い出
このストーリーを書くにあたり、子どもの頃を思い出そうとしました。けれど不思議なほど記憶が浮かんでこない。祖父母や友達と出かけたはずの楽しい想い出も、まるで黒板の文字を消すように断片的に現れては消えていきます。
何度思い出そうとしても頭が真っ白になり、数日どころか1ヶ月以上、記憶の扉は開きませんでした。
そんな中で気づいたのです。毎回、思い出そうとすると必ず父のことが頭をよぎっていることに。
私は、父との関係をうまく築けないまま大人になりました。幼い頃はよく背中に乗せてくれた優しい存在だった父が、小学校に上がる頃から厳しい口調で怒るようになりました。
ある日、勉強に集中できずゴロゴロしていた私に、父が突然怒り出し、教科書を2階の窓から外に投げ捨てたことがありました。そのショックと、教科書を拾うときの悲しさ。「自分はダメなやつなんだ」という感覚が私の中に深く根を下ろしました。
食事中もよく怒られました。些細な言葉遣いや配膳の順番、ご飯とおかずの食べるバランスなどでテーブルを叩かれることもありました。父の前にある調味料を取ってほしいと言えず、母にこっそり頼むほどでした。
そうした息苦しさから逃れるように、私は週末になると家を出て、サッカークラブに夢中になっていきました。
③ 相談したかった、ただそれだけだった
中学生になるとサッカー部がなく、友人の多くが入ったラグビー部に入りました。練習は厳しく、週末は試合づくしの日々。でも、自宅にいる時間が少なくなったことで精神的に安定していきました。
とはいえ進路への不安はありました。勉強に自信が持てず、この先どうすればよいのか分からなかったのです。
勇気を出して両親に相談したとき、父の口から出たのは「ワシはコネは使わんからな」「自分のことは自分でやれ」という言葉。母からは「吉本新喜劇の劇団員なんか入ったら縁切りやからな」とまで言われました。
心が折れかけた私は「夏にアルバイトしたスポーツ店で雇ってくれるかな」「残りの試合を頑張ろう」と静かに気持ちを整理していきました。
私が本当に求めていたのは、ただ “話を聴いてほしかった” それだけでした。迷っていた自分に寄り添う言葉、背中を押す言葉が欲しかったのです。
その日を境に、進路のことはすべて自分の中で決め、両親には事後報告しかしなくなりました。そして社会人になっても、父との距離は埋まることはありませんでした。
④「ごめんな」父が残した言葉
父は晩年、ガンを患い、亡くなる直前に病室で二人きりになる時間がありました。小一時間ほど話をした中で、父は静かに、そして穏やかに言いました。
「真大……ごめんな。育て方、間違ってたな」
「母さんのこと頼むな。1ヶ月に一回は様子を見に帰ってやって欲しい」
「兄弟とは仲良くやってくれよ」
それは、父から初めて受け取った心からの言葉でした。たった一言の “ごめんな” に、何十年分ものわだかまりが、少しずつほどけていくのを感じました。
父も、どう接してよいか分からなかったのかもしれない。父なりに悩んでいたのかもしれない。今ではそう思っています。
⑤ 今、信頼を育てるために
父との関係は、私の人生に大きな影を落としましたが、同時に大切な “教え” でもありました。
今私は、息子と過ごす日々の中で、自分がしてほしかったことを、息子にするように心がけています。怒るのではなく、どうすればよかったのか、どうしたかったのかを共に考える。その先にこそ “信頼” が育まれると信じています。
整体という仕事は、何よりも信頼関係の上に成り立つ営みです。あなたの大切な身体に触れるということは、単なる技術ではなく、その人の人生や想いに触れることでもあると、私は思っています。
⑥ from FM が届けたいもの
私の整体は “その日、その人の身体に合わせた、あなただけの整体” です。
頭から足の指先までを丁寧に観察し、優しい刺激で静かに整えていく。その中には “信頼” と “観察” と “対話” が欠かせません。
かつて私が “触れてほしかったように”、今度は私が “あなたに触れる” ことで、少しでも心と身体の回復の手助けができたらと願っています。
最後に……
ここまで読んでくださったあなたに、心から感謝いたします。
過去の記憶がどれほどつらいものであっても、それを振り返り、語り、受け入れることで人は変わっていけると私は信じています。そしてそのプロセスを、ひとりで抱え込むのではなく、誰かと共有し、支え合いながら進むことができれば、それは “信頼” という温かな土壌の中で、癒しと回復が芽生えていくのではないでしょうか。
あなたの “ここに至るまで” に、寄り添える整体師でありたいと願っています。
不室 真大(フムロ・マサトモ)